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病んで降年した話

2023-12-12

目次

はじめに
降年とは
私について
降年するまで
極限までサボった 2S1 タームで落単する
ロボットの世界大会に出て、帰ってきた後おかしくなる
降年してから
ますます何もできなくなる
学生相談所に行く
なんとか復活する
結局、なぜ病んだのか
まとめ

この記事は、東大推薦 Advent Calendar 2023 9日目の記事です。
大遅筆により 9 日目中に公開できませんでした。許してください。

はじめに

こんにちは。つな(@Tuna_San_)です。
ショッキングなタイトルで驚かれたかと思いますが、この記事では、私が病んで降年した経緯と、そこからどのようにして立ち直ったかを書いていきます。
今の私は元気なので心配しないでください。

元気の証拠に、最近食べた二郎系ラーメンの画像を添付します
ごちそうさまでした

降年とは

読者の皆さんには馴染みのない言葉だと思いますので、解説します。
降年とは、東京大学教養学部前期課程に存在するシステムで、 2 年生の S セメスター(夏学期)までに進学選択に参加できる要件を満たししていない学生は 2 年生の A セメスター(冬学期)に進めず、1 年生の A セメスターに戻される制度です。 2S セメスターの必修科目を落としたりすると降年になります。
実質的には留年なのですが、学年が 1 つ下がるので「降年」と呼ばれている訳ですね。

私について

東大推薦の 7 期生で、工学部学科群 3 (計数工学科、機械情報工学科、電子情報工学科)に所属しています。 もちろん内定はしていません
普段は学園祭でエンジニアをやったり、ロボット競技に参加したりしています。

降年するまで

極限までサボった 2S1 タームで落単する

推薦入学の学生は進学選択(いわゆる進振り)に参加しなくても、 進学選択に参加できる要件を満たせば 入学時に所属した学科に進学できます。 そのため、希望の学科に進学するために成績を上げる必要はなく、前期の 2 年間は比較的自由に過ごすことができます。
私も特に成績は気にせず、学園祭やロボット競技の方に力を入れていました。1S セメスターは比較的学業の方にも時間を割いていましたが、 1A セメスターで意外と頑張らなくても単位は来ることを学習してしまいました(これは多くの東大生が通る道だと思います)。
私は 1 年生のうちに必要な選択科目を全て習得したので、2 年生の S セメスターは必修科目だけ履修し、 5 月の学園祭とロボット競技の日本大会や 7 月の世界大会に全力を注ぐ予定でした。 2S1 タームは週 3 科目 5 コマ、2S2 タームはなんと週 0 コマです。
この週 5 コマというのが 4 日に渡って展開されており、1 日に 1〜2 コマしか授業がないという状況でした。 1 コマのためだけに大学に行くのはかなり面倒です。また、2S の必修科目には追試験があり、最悪期末試験を落としても耐えます。 これらが影響し、2S の初めは真面目に出席していたものの、徐々に出席もせず、課題も適当にやるようになっていきました。
学園祭とロボットの二足の草鞋で死にかけていた 5 月を終え、6 月はじめに期末試験を迎えます。

一足早い夏休みを自慢するツイート。12 月になっても夏休みが終わらないことになるとは知らずに……
期末試験を終えると、7 月のロボット競技の世界大会に向けての準備に生活のほとんどを費やすようになりました。
程なくして期末試験の結果が発表されました。
落単したことの婉曲的な報告
期末試験は 2 科目だったのですが、なんとどちらも落単しました。まあなんとかなるやろと思っていたのでこれにはさすがにショックを受けました。 しかしロボットの世界大会は 7 月に迫っており、追試験は 8 月初旬だったので、しばらくはロボットのことに集中することにしました。

ロボットの世界大会に出て、帰ってきた後おかしくなる

ロボットの世界大会には、起きている時間のほとんどを使って熱中しました。それはそれは本当に楽しい時間でした。
私は中高の時もロボット競技に参加していましたが、この時ほど開発が(自分の経験上)順調なことはなく、 また、半年ほど一緒に開発してきたチームメンバーとの中も深まり、とにかく楽しい時間でした。
世界大会では 3 位という結果を残すことができました。大会後は世界遺産のボルドー中心部を観光したり、 (当時 19 歳だったが現地では合法なので)初めてワインを飲んだりしました。

結果報告ツイート
日本に帰ってきたのは 7 月中旬。知らないうちに日本では梅雨が明けていました。 猛暑と時差ボケのダブルパンチで体調不良を引き起こし、帰国後数日間は動けない日が続きました。 この頃から、いろいろな物事に手がつかなくなっていきます。
8 月初旬には追試験があり、それに落ちると降年というのは自分でもわかっていたのですが、一向に勉強する気になれませんでした。 14 時くらいに起きて、Twitter 見て、飽きたら YouTube Shorts を見て、それにも飽きたらスマブラをして、また Twitter をやって、 適当に買った飯を食べて、翌 4 時くらいに寝るという生活を繰り返していました。
一番終わっていた日の睡眠記録
また、私は 11 月にある別の学園祭にも実行委員として関わっており、チームリーダー的役職を務めていました。 ロボット開発に集中している間はそちらの仕事をほとんどしていなかったので、帰国後はその分の遅れを取り戻す必要がありました。 しかし、その仕事にも一切手がつかなくなっていました。チームメンバーからの催促があってようやく仕事をするような状態で、 ギリギリの運営をしていました。
試験前日、流石に焦って勉強を始めますが、時すでに遅し。1 科目は十分に対策できたもののもう 1 科目の対策は不十分に終わりました。
追試験の結果発表は、学園祭の合宿イベントの最中でした (無気力状態だったとはいえ、自意識が作用して最低限の社会的な体裁を保つためにこうしたイベントには参加していました)。 「不可」の 2 文字を見て、動揺を隠すのに必死でした。

降年してから

ますます何もできなくなる

降年というイベント自体がものすごくショッキングでした。2A から興味のある分野の学習ができるのを楽しみにしていたので、 それが 1 年先延ばしになるというのは辛いものがありました。
周囲は進振りで進学先が決まる人が出始めており、どこの学科に行くとかいう話をしている中、 自分はまだ降年したことは周囲に伝えたくなかったので、できるだけ自分に話を振られないことを祈っていました (そういう話題になった時は適当に話を合わせていました)。
夏休みが終わり、1A セメスターが始まるわけですが、私は 1A セメスターの必修科目を全て履修済みだったので休学することにしました。 同期が 2A セメスターの授業や課題の話をしているのを聞くのも、私が降年した事実が強調されるようで苦痛でした。
事態はますます悪化します。相も変わらずに終わった生活を続けた結果、各プロジェクトの遅滞が目に見えるようになってきました。 普段の自分ならすぐ終わらせられるようなタスクでさえ、一向に始められません。 全てを後回しにして、余計事態を悪化させるという悪循環に陥っていました。

学生相談所に行く

10 月の中頃、このままではいけないと思い、駒場学生相談所に行くことにしました。 古めかしいウェブサイトにアクセスし、電話で予約をとりました。 1 回 50 分の相談を毎週 1 回行うことになりました。
初回の相談では、まずは自分の状況を一通り説明しました。自分の状況を誰かに話したのはこれが初めてでした。 相談員の方からは、よくある「燃え尽き症候群」に近い状態ではないかと言われ、 まずは生活習慣を正しくしてみて状況が変わるかみてみようということになりました。
それから 1 週間後の相談までに、劇的な変化が起こりました。
まず、生活習慣の改善は概ね成功しました(とはいえ 2 時くらいに寝ていましたが、午前中に起床できるようになりました)。 これは、「先生に怒られないように宿題をやる」というのと同じメカニズムで、相談所でちゃんとできたと言うために生活習慣を改善したと言う面がありました。 これは一見すると逆転しているように見えますが、相談所の方曰く、これも相談所の機能としてあるそうです。
また、徐々にタスクに手をつけられるようになりました。 自分の状況を察してか、チームメンバーがある程度タスクを進めてくれており、達成への見通しがついたのが大きかったと思われます。 私の性格として、タスクが大量に山積して先行きが見えない状態だと気持ちが向かなくなるということも見えてきました。

なんとか復活する

その後も何回か相談を重ね、どうすれば現状を改善できるのか、そもそもなぜこのような状況になってしまったのか、 今後このような状況にならないためにはどうすれば良いのかなどについて考えました。 自分の状況を口に出して誰かに伝えることで客観的に整理でき、不安な気持ちが和らいでいきました。
学園祭の方のプロジェクトはなんとか立て直し、授業がないので時間が有り余っているという降年生のメリット(?)を生かして パワーでリリースまで漕ぎ着けました。

アプリをリリースした。思いのほか反響が大きかった

結局、なぜ病んだのか

学生相談所に通う中で、自分の性格について向き合い、今回なぜ病んでしまったのかについて、いくつかの原因を考えることができました。

  • 大会が終わった後のことをよく考えずに世界大会を迎えてしまった

よくある燃え尽き症候群だと言われればそれまでなのですが、あまりにも熱中していた大会が終わった後の気持ちの落差はものすごいものがありました。 毎日メンバーと一緒に開発していたボルドーから帰ってきた後はずっと自室で 1 人でした。半ば放心状態だったかもしれません。 大会が終われば追試験の対策や学園祭が待っていることはわかっていましたが、大会に集中するために、考えないようにしていた面もありました。 より長期点な視点で、自分が何がしたいのか、今やっていることが終わったらどうするか考えておくべきだというのが、今回得た反省の一つです。

  • 他のチームメンバーの大会に対する姿勢が、自分の想定したものと異なっていた

実は、世界大会に参加したメンバーの中で、来年度も競技に参加するのは自分だけでした。 前述の通り当時の自分は大会が終わった後のことはあまり考えておらず、とにかく目の前のことに熱中していました。 一方、他のメンバーにとってはこの大会は通過点で、この経験をこの先の人生でどう生かすかということまで考えているようでした。 私は無意識のうちに、他のメンバーも自分同様の姿勢で大会に向き合っているものだと、勝手に自分の中で仮定したのかもしれません。 それと実際との違いからくるショックが、燃え尽き症候群の症状を悪化させていたのではないかと考えています。

  • 休みがなかった

大会が終わった後、気持ちの整理もつかぬままに、追試験や学園祭に向き合おうとしていました。 当然心身ともに疲れているはずなので、はっきりと休養期間を設けて、気持ちの切り替えができると良かったのではないかと思います。

  • タスクが山積してしまい、見通しが立たなくたなってしまった

これについては、前述した通りです。

  • 生活習慣が乱れた

以前から生活習慣は乱れがちでしたが、今回の件を機に意識して改善してみることにしました。 きちんと朝起きて活動するだけで気分の持ちようは大きく変わるものです。

まとめ

まさか自分がこんな状況に陥ってしまうとは想像していませんでした。 人間何がきっかけに壊れてしまうのかわからないものです。 頭の隅に、学生相談所で相談できるという知識が存在していたために助かりました。 もしもの時は相談できる場所があるということだけは、ぜひ知っておいてほしいと思います。

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